2026年2月1日春風学寮日曜集会
聖書 創世記
29:9 ヤコブが彼らと話しているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女も羊を飼っていたからである。
29:10 ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた。
29:11 ヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
29:12 ヤコブはやがて、ラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けた。ラケルは走って行って、父に知らせた。
29:13 ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを抱き締め口づけした。それから、ヤコブを自分の家に案内した。ヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、
29:14 ラバンは彼に言った。「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」
序 復習+α
神はアブラハムの子孫を通して、神の国を造ろうとしている。神の国とは罪のない(自己中心性のない、神の愛に従う)人々の国である。では、そのような人々を神はどのように育てようというのであろうか。祝福を約束し、その約束を果たすことで、神への信頼を作り出すことによって、育てようとしているのだ。事実、アブラハムは100歳を超えていたにもかかわらず子が与えられるという驚くべき祝福を受けたために、心に絶対的な神信頼を持つに至った。その結果彼は、自分の最愛の息子さえも神に捧げるという究極の愛(無私の愛=神の愛)を実行するに至った。神はアブラハムを通じて人類のロールモデルを育てたのだ。
ところがアブラハムの息子イサクは、そのようにはならなかった。多くの祝福を受けていながら、自分のお気に入りの長男エサウをひいきし、神の意志に反して彼に神の祝福を与えようとした。イサクの妻リベカもまたお気に入りの次男ヤコブをひいきし、彼のために神の祝福を策略によってエサウから奪い取ろうとした。つまり、イサクにもリベカにも神への絶対的信頼が育たなかったのだ。
ではイサクの後継者であるヤコブはどうであろうか。ヤコブの中に神への絶対的信頼は育っていくであろうか。ヤコブは母親のリベカ似であり、リベカと同様に知略で祝福を奪い取ろうとするずるがしこい男である。しかも彼は、自分を守ってくださるならあなたのために記念碑を建てて十分の一税を納めよう(28:20-22)と豪語するご利益信仰の人である。このような罪人のうちに果たして神への絶対的信頼が育つのであろうか。それとも神はヤコブに対して別の何かを期待しているのであろうか。以下、読み進んでいこう。
1.解説
①ラバンの変貌
祝福を兄のエサウから騙し取ったヤコブは、エサウの恨みを買ったために家族のもとを離れ一人旅に出ざるを得なくなった。そして母リベカのアドバイスに従って、リベカの兄(伯父)のラバンのもとへ向かっていった。こうしてラバンのもとへ着いたヤコブは自分が彼の甥であることを告げ、自分を彼のもとに置いてくれるようにと頼む。すると伯父のラバンは快く彼を迎え入れ、彼に住まいと食べ物を提供してくれた。こうしてヤコブは、一先ず身の安全を確保することに成功したのであった。これが冒頭に読んでいただいた個所である。
その後ヤコブはラバンに心から感謝し、そのお礼にラバンのために精いっぱい働く。そのようにして一ヶ月が過ぎた頃、ラバンはヤコブに言うのであった。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい」(29:15)。ラバンはどうやら善人であるらしい。
さて、この申し出にヤコブはどう答えたか。普通なら、お金なり、家なり、土地なり、家畜なり、何らかの物を報酬として要求するであろう。ところがヤコブはそのような物を要求しなかった。何と彼は、ラバンの娘を報酬として要求したのである。
29:16 ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。
29:17 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。
29:18 ヤコブはラケルを愛していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。
ヤコブはラケルの美しさに魅了された。そのために七年間働く報酬として、ヤコブはラケルを要求したのだ。この要求は果たして正当であろうか。
ところがその七年目、ラバンは約束通りにラケルをヤコブに与えず、代わりに姉のレアを与えた。その言い訳はこうであった。
29:26 ラバンは答えた。「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。
29:27 とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」
ラバンは「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ」と言っているが、このような理由はこじつけである。要するにラバンはヤコブをさらに七年間自分のために働かせたかったのだ。さらに七年間ヤコブを働かせるために、ラケルに加えてレアをヤコブに嫁がせたのだ。なんとずるがしこい男であろうか。いったいなぜラバンはこれほどまでに変わってしまったのであろうか。こうしてヤコブはラケルを手に入れたのだが、さらに七年ラバンのために働かなければならなくなった。他人をだます者は他人から騙されるのである。このときヤコブは、騙されることがどんなにつらいことか身に沁みて思い知ったであろう。
②レアとラケルの争い
しかしヤコブを襲った苦難はそれだけではなかった。続きを読んでみよう。
29:30 こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。
29:31 主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。
29:32 レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。・・・
29:33 レアはまた身ごもって男の子を産み、・・・シメオンと名付けた。
29:34 レアはまた身ごもって男の子を産み、・・・レビと名付けた。
29:35 レアはまた身ごもって男の子を産み、・・・ユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。
30:1 ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。
30:2 ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」
30:3 ラケルは、「わたしの召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができます」と言った。
30:4 ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。
30:5 やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。
この後、レアにも子供ができなくなる。すると今度はレアが自分の召し使いをヤコブのところに入らせ、さらに自分の子供を増やしていった。ここに至って神はようやくラケルを顧み、ラケルにも子供ができる。
30:22 しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、
30:23 ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。
このように、レアとラケルはヤコブの子種をめぐって激しい子作り合戦を繰り広げ、自身と召し使いを合わせて、計十二人の男子を得る(途中には女子も生まれたであろうが女子のことはほとんど聖書には記されていない)。さて、神はいったいなぜレアにだけ子供を授け、ラケルには子供を授けなかったのであろうか。そしてなぜ後半に至ってラケルに子供授けるのであろうか。総じて、この激しい子作り合戦の意味するところはいったい何であろうか。
③脱出と追跡
さてその後はどうなったか。神の祝福を受けたヤコブが熱心に働き続けたおかげで、ラバンの財産は莫大なものとなった。そして6年が過ぎたとき(ラバンのもとに来てから20年が過ぎたとき)、ヤコブは切り出した。「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください」(30:25)。するとラバンは答えた。「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」と。それでヤコブはこう答えた(30:28)。「今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください」(30:32)。これに対してラバンは「よろしい」と答えた。
ここからラバンとヤコブの知恵比べが始まる。ラバンはぶちとまだらと黒みがかった家畜を何とか減らそうとし、対してヤコブはそれらをなんとか増やそうとするのだ。しかしこのような知恵比べはヤコブが得意とするところなので、ラバンはまんまと出し抜かれ、ぶちとまだらと黒みがかった家畜ばかりがどんどん増えていく結果となった。しかしこの結果は単なるヤコブの知恵の勝利ではなかった。神の祝福があればこそヤコブの知略が功を奏したのだ。このことをヤコブはレアとラケルにこう説明している。「お父さん(ラバン)が、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ(31:8-9)」。事実今回に限って神はヤコブの知略に加担している。31:12には神の次のような言葉がある。「ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。」どうやら神はラバンからひどい仕打ちを受け続けるヤコブを憐れんでいるらしい。
こうなるとラバンはもう約束の報酬を払うわけにはいかない。約束通りに報酬を支払うなら、自分の家畜のほとんどはヤコブのものとなってしまうし、ヤコブが出ていくならラバンは神の祝福の間接的な恩恵を受けられなくなってしまうのだから。
ラバンのこのような気持ちの変化を察知したヤコブは、ラバンが出かけている間にこっそり全財産を携え、家族と使用人と家畜を引き連れてラバンのもとを去り、父イサクの住むカナン地方へと出発する。ラバンがこのことに気づいたのは三日後であった。怒り狂ったラバンは全一族を引き連れて猛然とヤコブを追跡した。ここは重要なところなので共に読んでみよう。
31:22 ヤコブが逃げたことがラバンに知れたのは、三日目であった。
31:23 ラバンは一族を率いて、七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドの山地でヤコブに追いついたが、
31:24 その夜夢の中で神は、アラム人ラバンのもとに来て言われた。「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」
31:25 ラバンがヤコブに追いついたとき、ヤコブは山の上に天幕を張っていたので、ラバンも一族と共にギレアドの山に天幕を張った。
31:26 ラバンはヤコブに言った。「一体何ということをしたのか。わたしを欺き、しかも娘たちを戦争の捕虜のように駆り立てて行くとは。
31:27 なぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか。ひとこと言ってくれさえすれば、わたしは太鼓や竪琴で喜び歌って、送り出してやったものを。
31:28 孫や娘たちに別れの口づけもさせないとは愚かなことをしたものだ。
31:29 わたしはお前たちをひどい目に遭わせることもできるが、夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とわたしにお告げになった。
31:30 父の家が恋しくて去るのなら、去ってもよい。
ラバンは完全に嘘をついている。ヤコブが正直に故郷に帰りたいと打ち明けたなら、ラバンはヤコブにほとんど財産を分け与えなかったであろう。二人の娘さえ、取り上げたかもしれない。
ところがここで突然全く別のモチーフが出てくる。
31:30 ・・・しかし、なぜわたしの守り神を盗んだのか。」
31:31 ヤコブはラバンに答えた。「わたしは、あなたが娘たちをわたしから奪い取るのではないかと思って恐れただけです。
31:32 もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、その者を生かしてはおきません。我々一同の前で、わたしのところにあなたのものがあるかどうか調べて、取り戻してください。」ヤコブは、ラケルがそれを盗んでいたことを知らなかったのである。
31:33 そこで、ラバンはヤコブの天幕に入り、更にレアの天幕や二人の召し使いの天幕にも入って捜してみたが、見つからなかった。ラバンがレアの天幕を出てラケルの天幕に入ると、
31:34 ラケルは既に守り神の像を取って、らくだの鞍の下に入れ、その上に座っていたので、ラバンは天幕の中をくまなく調べたが見つけることはできなかった。
31:35 ラケルは父に言った。「お父さん、どうか悪く思わないでください。わたしは今、月のものがあるので立てません。」ラバンはなおも捜したが、守り神の像を見つけることはできなかった。
31:36 ヤコブは怒ってラバンを責め、言い返した。「わたしに何の背反、何の罪があって、わたしの後を追って来られたのですか。
31:37 あなたはわたしの物を一つ残らず調べられましたが、あなたの家の物が一つでも見つかりましたか。それをここに出して、わたしの一族とあなたの一族の前に置き、わたしたち二人の間を、皆に裁いてもらおうではありませんか。
・・・
31:42 もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクの畏れ敬う方がわたしの味方でなかったなら、あなたはきっと何も持たせずにわたしを追い出したことでしょう。神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたを諭されたのです。」
このようなヤコブの主張に対してラバンは何一つ反論するこができなかった。こうしてラバンはヤコブの権利を全面的に認める契約を結ばざるを得なくなった。それでは、このようなエピソードに込められた神のメッセージとはいったい何であろうか。特にラバンとの和解と「守り神の像」に込められたメッセージは何であろうか。いったいなぜラバンは怒りを抑えたのであろうか。いったいなぜそこに「守り神の像」のモチーフが絡んでくるのだろうか。この「守り神の像」は実はラケルが父の天幕から盗み出したものである。いったいなぜ彼女はこのようなことをしたのであろうか。
2.メッセージ
思うにこの一連のヤコブの物語は神がヤコブを教育しようとする物語である。ヤコブはアブラハムのような優等生ではない。いろいろな人間的欠点を抱えた人物、罪人である。もちろんアブラハムにも欠点があり、彼もまた神を信じ切れない罪人であった。しかしその罪は神を完全に信じ切れないという言わばやむを得ぬ罪であった。対してヤコブの罪は強欲であり、その欲望を知略によって実現しようする意図的な罪である。このような罪人を神は何とか教育し、このような罪人を教育することによって、神の国を築いていこうとしているのである。
①相手の立場に立って考えろ
神がこの物語を通じて伝えようとしている第一のメッセージは相手の立場に立って考えるという愛の基本である。父や兄を騙して祝福を手に入れたヤコブは、この物語では叔父のラバンから騙される。ここに他人を騙す者は他人から騙されるという因果応報思想を読み取ることも可能だが、それ以上にここにはヤコブを騙される側に敢えて置こうとする神の意志を読み取るべきであろう。神はヤコブに(そして私たちに)他人から騙されることの痛みを思い知らせることによって、他人を騙すということがどんなにいけないことかを教えようとしているのだ。
子作り合戦のエピソードについても同じことが言える。ヤコブは、自分の労働の報酬として、ラケルを要求した。しかもその理由は、ラケルの見た目が美しいからであった。優しい目をしたレアには目も止めなかった。ここには、女を欲望の対象として物扱いにするヤコブの傾向がよく出ている。そしてそのような傾向を有するからこそ、今度は女たちから自分が物扱いにされるという羽目に陥る。レアもラケルも途中からヤコブを単に子供を作るための道具(いわゆる種馬)とみなし、まるで人間(人格)とみなしていない。このようなエピソードに、他人を物扱いする者は他人からも物扱いにされるという因果応報思想を読み取ることもかのだが、やはりここから読み取るべきはヤコブを物扱いされる立場に置こうとする神の意志である。神は、女たちを物扱いにしたヤコブを敢えて女たちから物扱いされる立場に置くことによって、ヤコブに(そして私たちに)他人から物扱いされることの苦しみを、他人を人格として扱うことの大切さを教えようとしているのだ。
ちなみにレアが次々に子宝を授かるのも、優しい人格を持っているにもかかわらず物扱いにされるレアを神が憐れんだからであると言えよう。
というわけで、総じてこれらのエピソードは他人の立場にたって考えることの重要性を伝えようとしている。最近では他人の気持ちなんていくら考えたってわからないという意見が横行している。しかしそうだとするなら、罪人は一生罪人のままであり、愛は消滅する。
②なぜラバンは変わったか
もともと善人であったラバンが最後には詐欺師同然の悪党へと変貌していく。これはいったいなぜであろうか。その理由はもちろん、ヤコブが受けている神の祝福の間接的な恩恵にあずかりたいと思ったからである。ラバンは占いや自分自身の観察を通じて、ヤコブが神から祝福されていることを知った(30:27)。そのためにヤコブを手元に置いておくならば、自分も神の祝福の恩恵に間接的にあずかり、無限に豊かになれると考えた。そうであればこそ彼は欲望の虜となり、悪党へと変貌してしまったのだ。
だとすればここには込められたメッセージは何であろうか。それはやはり、神の祝福を受ける者は自制心を必要とするということであろう。神の祝福は絶大な恵みをもたらす。それだけに、それを受ける者は増長し、おごり高ぶり、欲望の虜となり、堕落するリスクを秘めている。神はラバンの変貌を通じてヤコブに(そして私たちに)神の祝福を受けることのリスクを知らせ、神の祝福を受ける者は増長せずに絶えずへりくだり、欲望を抑えていかなければならないと伝えようとしているのである。
もし神の祝福を受けた者が増長し、堕落してしまうなら、彼は教祖のようになり、神信仰はただのご利益宗教になってしまうであろう。だから、信仰を持っている者は、そこから受ける恵みを決して誇ってはならないし、それにおぼれてはならない。
③なぜラケルは父の「守り神の像」を盗んだか
なぜラケルは父の「守り神の像」を盗んだのか。そのはっきりした理由はどこにも書かれていないが、三つの説が挙げられている。一つは、家父長権を手に入れるためである(古代の中東では守り神の像が家父長権の証として用いられていた)。二つ目は、お守りとして用いるためである(ラケルはヤコブの神をあまり信じておらず、むしろ偶像の神に頼っていた)。三つ目は父親を憎んでいたためである(ラケルは自分を裕福になるための道具として利用し、その後も夫を利用し続けた父のラバンを憎んでいた)。恐らくこれらすべての理由でラケルは「守り神の像」を盗んだであろう。
しかし、神の視点からすれば、最も由々しき理由は二つ目の理由である。ラケルは、偶像により頼み、真の神により頼むことをしなかった。そうであればこそ、一人しか子を与えられず、この後二人目の子供を授かった時には、命を落としてしまうのである。
だとすると、神がこれらの一連の出来事を通じヤコブに(そして私たちに)何を伝えようとしているのかは明らかである。真の神(霊的な神)以外に神はない、偶像に頼ってはならないということ(第一戒と第二戒)を伝えようとしているのだ。
では、このメッセージはこれまでの展開とどう関係しているのであろうか。恐らく、偶像崇拝と人を物扱いにすることとは密接に関係しているのであろう。神が霊的であるならば、その信仰を通じて神との対話がなされ、人格が育っていく。しかし神が偶像であるならば、対話の不在が人格の成長を止め、結果互いを物扱いにする傾向が生まれるのではないか。
④なぜ和解が成立したか
いったいなぜラバンとヤコブの間に和解が成立したのであろうか。というより、いったいなぜラバンは自身の欲望と怒りを抑えられたのであろうか。もちろん神が仲介したからである。神が夢に現れて、「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」と言ったからである。
だとすればここに込められたメッセージはこうであろう。人は神の仲介があればこそ、自己の欲望や怒りを抑え、和解することができる。人は決して自力では敵と和解できない。他人の仲介があったとしても和解することはなかなか難しい。人を真に和解に導くものは。神だけである。このことをこの出来事を通じて神はヤコブに(そして私たちに)伝えようとしているのではあるまいか。
この後、ヤコブは故郷に帰り、兄のエサウと和解しなければならない。しかし、エサウがヤコブを赦す可能性はゼロに等しい。なんといってもヤコブはエサウから家父長権と神の祝福をだまし取ってしまったのだから。しかし、神の仲介があれば、そのような不可能な和解も可能になる。神はそのことを伝えたいのだ。
今も和解できない人々や国々はたくさんある。その根本的理由は、神を本気で信じないからである。
⑤まとめ
このようにメッセージを追っていくならば、神が何をしようとしているのかがわかってくる。神は、罪人ヤコブに愛と信仰を教育しようとしているのだ。神はヤコブに、他人の立場に立つという愛の基本を教え、神の祝福を受けることのリスクを教え、神以外のものに頼ることのリスクを教え、そして敵対する者と和解するためには神の仲介が必要であるということを教えた。これらはすべてヤコブに愛と信仰の基礎を教えようとする試みである。
そうなのだ。今や神は罪人ヤコブを教育することによって神の国の基礎を作ろうとしているのだ。そして、このテキストを読む者をも教育しようとしているのだ。
