イエス様と共に愛の花を咲かそう

聖書 讃美歌285番

主よ、み手もてひかせたまえ、ただわが主の道を歩まん、
いかに暗く険しくとも、みむねならばわれいとわじ、

ちからたのみ知恵にまかせ、われと道を選びとらじ、
行く手はただ主のまにまに、ゆだねまつり正しくゆかん、

主よ、飲むべきわがさかずき、選びとりてさずけたまえ、
喜びをも悲しみをも、満たしたもうままにぞ受けん、

この世を主に捧げまつり、神の国となすためには、
せめもはじも死も滅びも、何かはあらん、主に任せて、

1 愛は花
今日はまだ全員がそろっておりませんので、特別に讃美歌を聞きながら、讃美歌を中心に話を進めていきていく音楽集会を行おうと思います。と言いましても、今日紹介したい初めの二つの曲は、ポップスの曲です。ポップスの中には、まるで讃美歌のような曲が結構あります。特に欧米のポップスには讃美歌に近いような曲がたくさんある。いったいなぜだと思いますか。それはもちろん、欧米のミュージシャンたちのほとんどが小さいころから教会で讃美歌を聞かされたり、歌わされたりして育ったからです。子供のころから讃美歌に親しんでいれば、作る曲も当然讃美歌の影響を受けてしまう。だからこそ、欧米のポップスの中には讃美歌のような曲がたくさんあるわけです。
それでは、早速讃美歌のようなポップスの曲を紹介していきましょう。まず紹介したいのは、「ローズ」(薔薇)という曲です。この曲は「ローズ」という映画の中でベット・ミドラーという歌手によって歌われて有名になった曲ですが、元々はあまりに讃美歌的すぎるということでお蔵入りする予定の曲でした。なんせ「ローズ」という映画はロックンロール歌手のサクセス・ストーリーを描いた映画でしたから、そのような映画に讃美歌的な曲が合うはずがない。だから、スタッフのほとんどがこの曲を採用することに反対していたわけです。ところが、映画の音楽プロヂューサーがこの曲を非常に気に入ってしまい、主人公のベット・ミドラーにこの曲を聞かせると彼女もまたこの曲の虜になってしまいました。それで、やはりこの曲を映画に使おうということになったわけですが、実際に映画に使ってみますと、みんなびっくり。ベット・ミドラーの歌唱力とあいまって、この曲は絶大な効果を発揮し、聞く者全てに大きな感動を巻き起こしました。案の定上映されると、大ヒット。この人気は今でも続いており、「ローズ」という映画は知らないけれど、「ローズ」という曲は知っているという人がたくさんいます。それもそのはず。この曲は今までに何十人もの歌手によって歌い継がれ、たくさんの映画やドラマの主題歌として使われ続けてきました。それどころか、結婚式場では必ずと言ってよいほどBGMに使われており、花嫁花婿の友人たちがお祝いにこの歌をうたうことも珍しくありません。というわけで、百聞は一見に如かず。先ずはベット・ミドラーが歌う「ローズ」英語版を聞いてください。歌詞はわからなくても感動するはずです。

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本当に音楽を聴くだけでも感動的ですが、やはり歌詞も分かった方がより感動が深まります。そこで続いては、この曲の日本語版を紹介しましょう。先ほども言いました通り、この曲の人気は今も衰えず、様々な歌詞によって歌い継がれているわけですが、その影響は日本にも及び、ついには英語版を結構忠実に訳した日本語版が作られるに至りました。その日本語版とは、ジブリのアニメ『おもひでぽろぽろ』に使われた「愛は花、君はその種子」です。以下、その歌詞を少しだけわかりやすく改訳しながら、読んでみましょう。


やさしさを 押し流す、愛 それは川、
魂を 切り裂く、愛 それはナイフ
とめどない 渇きが愛だと いうけれど、
愛は花 生命の花、きみは その種子
(愛、それは優しさを押し流す川のようなものだと言う人がいる。
愛、それは魂を切り裂くナイフのようなものだと言う人もいる。
愛、それはとめどない渇きであると言う人もいる。
しかし私は思う。愛は花だと。命の花だと。そして君はその愛の種だと、私は思う。)

挫けるのを 恐れて、躍らない きみのこころ、
醒めるのを 恐れて、チャンス逃がす きみの夢
奪われるのが 嫌さに与えない こころ、
死ぬのを 恐れて生きることが 出来ない
(くじけるのを恐れて、踊るのを避けようとする君の心、
現実に目を向けるのを恐れて、チャンスを逃してしまう君の夢、
奪われることを恐れて与えようとしない君の心、
死ぬことを恐れてびくびくしていたら、生きることなんかできない。)

長い夜 ただひとり、遠い道 ただひとり、
愛なんて 来やしない、そう おもうときには
思いだしてごらん 冬、雪に 埋もれていても、
種子は春 おひさまの、愛で 花ひらく
(長い夜はたった一人で過ごすしかない、遠い道はたった一人で進むしかない、
愛なんて私のもとへはやって来はしない、とそう思ってしまう時には、
思い出してごらん。種(薔薇)は、冬の間は雪に埋もれていても、
春になるとおひさまの愛を浴びて、花開くのだということを。

<引用:高畑勲訳詞『愛は花、君はその種子』>

この歌詞で最も重要なのは、やはり三番の「思い出してごらん。種は、冬の間は雪に埋もれていても、春になるとおひさまの愛を浴びて、花開くのだということを」というところです(英語版では、「種」ではなくて「薔薇」)。私たちの人生の大半は、雪に埋もれた冬のようなものです。長い夜は一人で過ごさなければならず、遠い道のりを一人で進まなければならない。だからびくびくして、思うように生きられない。失敗を恐れて、踊ることをやめてしまう。現実を恐れて、チャンスを逃してしまう。死ぬことを恐れて自己防衛的に生きてしまう。しかし、そんなときにこそ思い出そうとこの歌は訴えているのです。雪に埋もれた種も春にはおひさまの愛を浴びて、花を開かせるということを思い出そうと。 このおひさまの愛とは、神様の愛の比喩だということができます。人生の大半はつらい冬のようなものですが、必ずそこには神様の愛の光が届き、私たちを愛で包んでくれる時が来る。神様の愛と出会い、神様の愛を見つけるときが来る。そのときこそ私たちも、誰かを愛することができる。愛の花を咲かせることができる、とこれがこの歌のメッセージです。一言で言えば、この歌は神様の愛との出会いを、あるいは神様の愛の発見を描いた歌なのです。それでは「ローズ」の日本語版「愛は花、君はその種子」を聞いてみましょう。 本当に音楽を聴くだけでも感動的ですが、やはり歌詞も分かった方がより感動が深まります。そこで続いては、この曲の日本語版を紹介しましょう。先ほども言いました通り、この曲の人気は今も衰えず、様々な歌詞によって歌い継がれているわけですが、その影響は日本にも及び、ついには英語版を結構忠実に訳した日本語版が作られるに至りました。その日本語版とは、ジブリのアニメ『おもひでぽろぽろ』に使われた「愛は花、君はその種子」です。以下、その歌詞を少しだけわかりやすく改訳しながら、読んでみましょう。

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2 あなたが私を奮い立たせてくれる
ところで、この「ローズ」という曲には、神様の愛はおひさまの光という形でちらりとしか登場しません。他の部分はほとんど、人生の暗い現実を描いています。だからこそリアルで感動的なのですが、その分少し喜びが足りないと言えないこともありません。そこで次には、もっと神様の愛でいっぱいの曲を紹介しましょう。その歌とは、「ユーレイズミ―アップ」という歌です。このタイトルを日本語に訳すと、いろいろになります。「あなたが私を育ててくれる」「あなたが私に元気を与えてくれる」「あなたが私を引き上げてくれる」・・・。しかし、私は、こう訳すのが好きです。「あなたが私を奮い立たせてくれる」。この方がなんだか一層元気が湧いてくるような気がしませんか。
この曲は、元々アイルランドのシークレット・ガーデンという二人組の地味なミュージシャンが作った曲でしたが、あまりに良い曲なので、それ以降先ほどの「ローズ」と同じように、何十人もの歌手に歌い継がれ、たくさんの映画やドラマに使われるようになりました。有名な「ライオン・キング」というアニメにも使われています。これも百聞は一見に如かず。先ずは、最も有名なケルティック・ウーマンの歌ったバージョンを聞いてみましょう。

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本当にいい曲ですよね。しかしやはり歌詞が解った方がもっと感動が深まります。それでこの歌の日本語バージョンはないかなあと探してみますと、あったではありませんか。ユキという歌手が歌う見事な日本語バージョンが。この日本語バージョンは、ケルティック・ウーマンのバージョンほど派手ではありませんが、その分心に清らかな感動を与えてくれます。 というわけで、先ずは、その日本語バージョンの歌詞をやはり少しだけ原文に戻しながら、読んでみましょう。

悲しみに沈むとき、苦しみに悩むとき、
私は立ち止まり待つ、あなたが来てくれるまで、
You Raise Me Up(あなたが私を奮い立たせてくれる)、だから険しい山も登っていける、
You Raise Me up(あなたが私を奮い立たせてくれる)、だから嵐の海も歩いて行ける
私は強くなれる、あなたが支えてくれるから
You Raise Me Up(あなたが私を奮い立たせてくれる)、だから険しい山も登っていける、
You Raise Me up(あなたが私を奮い立たせてくれる)、 嵐の海も歩いて行ける
私は強くなれる、あなたを信じているから
You Raise Me Up(あなたが私を奮い立たせてくれる)、だからすべてを乗り超えて行ける

歌詞を聞いているだけで元気が出てきますよね。私たちは一人では、とても「愛の花」を咲かせることができません。しかしそばにあなたがいれば、愛の花を咲かせることができる。悲しみも苦しみも乗り越えて「愛の花」を咲かせることができる、険しい山に登り、嵐の海を歩いて「愛の花」を咲かせることができる、とこの歌はそう訴えているのです(日本語版では、「嵐の日も生きていける」。 「あなた」とは誰でしょうか。それは友達であるかもしれないし、恋人であるかもしれないし、家族であるかもしれません。しかし、注目すべきは、この歌詞の最初が「悲しみに沈むとき、苦しみに悩むとき、私は立ち止まり待つ、あなたが来てくれるまで」となっていることです。じっと待っていて必ず来てくれるのは、やはりイエス様だけです。だとするとこの「あなた」はやはりイエス様のことではないでしょうか。事実、この曲の「あなた」というところを「イエス様」に変えれば、これはもう完全な讃美歌です。私は、この曲は、イエス様が私たちに与えてくれる圧倒的な愛の恵みをうたい上げた曲なのだと思っています。 というわけで、イエス様の愛の恵みのことを思いながら、「ユーレイズミ―アップ」の日本語バージョンを聞いてみましょう。

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3 主よ、み手もて
さて、讃美歌のようなポップスを2曲紹介したところで、やはり最後には本当の讃美歌を聞いてみたいと思います。今日最後に取り上げたいのは、冒頭に読んでいただいた讃美歌285番「主よ、み手もて」です。この讃美歌の原曲は、ドイツの有名な作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」の一節です。その序曲を聞いてみますと、その冒頭にははっきりとこのメロディが流れるので、聞いているとどうしても「主よ、み手もて」と私は歌い出してしまいます。
しかし讃美歌として重要なのは、むしろ歌詞です。この曲の歌詞を作詞したのは、ホレイシャス・ボナーという19世紀のスコットランドの牧師なのですが、この人は何をした人かと言いますと、スコットランド人の信仰をよみがえらせた人でした。当時スコットランド人の大半は、科学の発達やイギリス政府の教会への介入などによって、信仰を失おうとしていました。これではいかんと思ったボナーは、スコットランド人の信仰をよみがえらせることに生涯を捧げます。そして、彼の活躍のおかげでスコットランド人の多くは信仰をよみがえらせ、イギリス政府から独立した独自の教会を作るほどになりました。 いったいどうやってよみがえらせたかわかりますか。もちろんイエス様に集中することによって人々の信仰をよみがえらせたのです。彼は主張しました。〈教会の中心は律法でも儀式でも慈善活動でもない。イエス様なのだ。イエス様が中心にいらして初めて教会には霊的な命が宿り、教会員の信仰は保たれるのだ〉と。この主張を全ての活動で実践することによって、ホナーはスコットランド人の信仰をよみがえらせたのでした。イエス様のパワーは本当にすごいのです。 イエス様に集中する、そのような彼の熱い思いから生み出されたのがこの「主よ、み手もて」という讃美歌です。この讃美歌ではまさしくイエス様が中心。イエス様が共にいて導いてくれるならあらゆる困難を乗り越えていけるとのこの讃美歌は訴えます。そうなのです。この讃美歌の歌詞のメッセージは、先ほど紹介した「ユーレイズミ―アップ」 のメッセージとほぼ同じなのです。 しかし、細かく見ていきますと、少しだけ違うメッセージが込められています。その違いに注目しながら、歌詞を学んでみたいと思います。この歌詞の現代語訳はこうなります。


主よ、私の手を引いていってください。私はただあなたの道を歩みます。
その道がどんなに暗く、険しいものでも、私は気にしません。

自分の力や知恵を頼りにして、道を選んだりはしません。
行く先はただ主の選びにお任せし、私は正しく生きるだけです。

主よ、私が飲むべき杯を、選んでお与えください。
喜びの杯であろうと悲しみの杯であろうと、私は飲み干します。

この世を神の国にして、主に捧げるためなら、
非難も恥も死も滅びも、気にしません。すべては主にお委ねします。

このように現代語に訳してみると、先ほどのユーレイズミ―アップとの違いがはっきりと判ります。ユーレイズミ―アップはイエス様から愛や力や元気を受け取るイエス様の恵みにについて歌った歌です。ところが、この「主よ、み手もて」はイエス様から恵みを受け取るだけではありませせん。そこにはこちらからイエス様に捧げようという思いがあるのです。単にイエス様から愛の恵みを受け取ろうとするのではなく、イエス様に自分の愛を捧げようという思いがある。つまりこの讃美歌はイエス様と人との交わりを描いた曲なのです。
私たちの人生の目標は、「愛の花」を咲かせることです。一人一人のやり方で、隣人を愛することです。しかし、愛することは難しい。現実は厳しいし、自分の心には恐れが渦巻いている。そのような中で、「愛の花」を咲かせることは本当に難しい。しかし、イエス様と共に歩むなら、イエス様に身を預け、イエス様に従っていくなら、イエス様と交わり続けていくなら、私たちはあらゆる困難を乗り越えて「愛の花」を咲かせることができる、そして最後には、この世を神の国にすることができる。戦争や憎しみのない愛の国にすることができる、とそうこの讃美歌は訴えているのです。
現在ウクライナでは、ロシアとの大戦争が行われていますが、いったいなぜこのような大戦争が起こったのでしょうか。政治経済的にはいろいろな原因が考えられますが、聖書の結論は簡単です。自分の知恵と力を頼みとして国を守ろうとするからです。イエス様に身を委ねなかったからです。だから、この大戦争を回避する方法は、ただ一つ。自分の知恵と力を頼みとせず、すべてをイエス様にお委ねし、イエス様に従うことです。イエス様に身を委ね、イエス様に従っていけば、イエス様の力によって「愛の花」を咲かせることができる。本当の平和を築いていくことができる。これは聖書が絶えず私たちに発しているメッセージです。
それでは、ウクライナに平和が訪れることを願いながら、讃美歌285番「主よ、み手もて」を聞いてみましょう。歌詞を覚えている人は、どうぞ共に歌ってください。

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祈祷
私たちの主であるイエス・キリストの父なる神様。今日は、あなたを賛美する三つの曲を通じて、メッセージをいただきました。そのメッセージとは、神様の愛との出会い、イエス様の愛の恵み、イエス様との交わりというものでありました。まことに私たちは、自分たちだけでは愛の花を咲かせ、本当の平和を作り出すことはできません。しかし、イエス様を通じてあなたの愛と出会い、イエス様からあなたの愛の恵みをいただき、イエス様と交わり続けるなら、私たちも愛の花を咲かせることができるというメッセージをいただきました。主よ、どうぞ私たちも、そのようにして愛の花を咲かせていくことができますように。真の平和を築いていくことができますように。
現在ウクライナでは、ロシアの侵略によって多くの人間の尊い命が失われています。これもひとえに、人間があなたに頼らず、武力によって平和を築いていこうとする誤った努力の結果であります。どうぞ、一日も早く世界中の人が武力に頼って平和を築こうとすることの過ちに気付き、あなたのもとへと立ち返りますように。あなたの愛に気付き、あなたから愛の恵みを受け、あなたとの交わりを通じて、真の平和を築いていくことができますように。

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