2026年1月25日春風学寮日曜集会
聖書 マタイによる福音書
10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
10:9 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
序 完全の鏡とは
今日の話のタイトルは、「完全の鏡―聖フランチェスコに学ぶ」ですが、なぜ「完全の鏡」なのかと言いますと、フランチェスコという人は完全な人と言われるイエス・キリストの生きざまを完全に模倣しようとし、その目標をほぼ完全に達成したと言われる人(キリスト的完成を達成したと言われる人)だからです。そうであればこそ彼は聖者に列せられ、聖フランチェスコと呼ばれるわけです。
それでは、キリスト的完成(完全なキリストの生きざま)とはどのようなものでしょうか。聖フランチェスコの生きざまをたどることで学んでみたいと思います。
1.最初の回心
先ず名前について。フランチェスコという名はイタリア語名でスペイン語だとフランシスコ、英語だとフランシスとなります。だから三通りに呼ばれてしまうわけです。いずれにせよその意味は、「フランス人」という意味です。なんでそのような名前が付けられたのかは不明ですが、実際彼は子供のころからフランス語が話せたようです。しかし彼はイタリア人ですので、以下はフランチェスコというイタリア語名で通しましょう。
フランチェスコは、中世の1182年にイタリア半島の真ん中あたりにあるアッシジという街に生まれました。この街は白と薄茶色の壁からなる(夕方にはオレンジ色に輝く)非常に美しい街で、小高い丘の上にあるので、天空の街と呼ばれ、今では一大観光地となっています。
フランチェスコの父親はこの街を拠点とする織物商人(呉服問屋)で、大金持ちでありました。取引先はフランスが多かったらしく、それで頻繁にフランスへ出かけました。フランチェスコもそのような父に連れられてよくフランスへ行き、その結果フランス語が得意になったというわけです。ところがフランチェスコは少しも商売に興味を示さず、騎士になって戦うことを夢見るロマンチックな青年でした。そして18歳の時には、実際に戦争に出かけて行ってしまいました。当時イタリアでは、都市間でよく戦争が行われていました。アッシジも近隣都市のペルージアと戦争をしました。彼はその戦争に騎士として喜び勇んで参加したのでした。この戦争はアッシジの敗北に終わり、フランチェスコは捕虜としてベル―ジアの牢獄に幽閉されてしまいます。一年後に和解が成り、アッシジに帰されるのですが、フランチェスコは悔い改めるどころか、ますます騎士になって戦いたいという熱い思いに取りつかれ、毎日のように馬に乗り、騎士としての訓練を重ねる日々を過ごしたそうです。
ところが23歳の時、アッシジの郊外で馬に乗っている途中、フランチェスコはらい病患者と出会います。かわいそうに思ったフランチェスコは彼に所持金の全てを与えたのですが、心の中は恐怖に圧倒されていました。病気がうつるかもしれないと思ったからです。恐怖に支配されたフランチェスコはお金を渡すと、逃げ去るように馬を走らせてらい病患者から離れていきました。ところがです。しばらくするとフランチェスコは彼のもとに引き返しました。いったいなぜ引き返したのかはわかりません。恐らく、病気を恐れて逃げるのは騎士にふさわしくないとでも思ったのでしょう。そして彼の元に戻ってくると、馬を降りてなんとそのらい病患者に口づけしたではありませんか。この行為自体驚くべき行為ですが、もっと驚くべきことが彼の心の中で起こりました。なんとらい病患者に口づけした瞬間、彼の心は信じられないような解放感に満たされたのでした。「この甘美な感覚はいったい何なのだ」とフランチェスコは考えました。彼はその感覚を言葉にしてはいませんが、恐らくその感覚こそは愛することの喜び、愛のために自分を捨て去ることで生じる解放の喜びであったに違いありません。真の解放と自由(=幸福)は愛することによってこそ、愛のために自分を捨てることによってこそ与えられる、そのことをフランチェスコはこの時に体験したのだと思います。
2.何もかも捨てて
この後フランチェスコは大変身を遂げていきます。もはや騎士として戦いたいとは思わなくなり、その代わりに全く別の願望が起こってきました。すなわちイエス・キリストのような完全な愛の人になりたいと思うようになったのです。こうして25歳のときには驚くべきことを実行に移します。自分の所持品はすべて貧乏な人たちに与えてしまい、財産の相続権を全て放棄し、衣服までも父に返却し、素っ裸になってアッシジの司教のもとにかけこんだのでした。
司教のもとに到着すると、フランチェスコはひざまずいてこう言いました。「今から私は主の僕となります。父から受けた物はすべて父に返却しました。今や私は完全に自由であり、自由に主に仕えることができます。以降、私の本当の父は天にいらっしゃる神様だけであり、ベルナルドーレ氏(父の名前)ではありません。」
こうしてフランチェスコは神のためにすべてを捨てたのでした。司教は、全裸の彼にぼろ布を与えました。そのぼろ布をまとうと、フランチェスコは無一物で教会を去っていきました。イエスのごとく生きようとした彼は、教会の世話になることすらも拒否し、放浪生活に身をゆだねようとしたのでした。恐らく彼は、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイ8:20)というイエスの生きざまに従おうとしたのでしょう。
ではその後どうなったでしょうか。時は早春であり、山にはまだ雪が残っていました。当然外は寒かったでしょう。ところがそのような寒空の中をフランチェスコは裸も同然で、讃美歌を歌いながら、さまよい歩いたのでした。途中で盗賊に襲われましたが、フランチェスコが何も持っていないことを知ると、盗賊は立ち去っていきました。このとき彼は、無一物であることの自由を思い知りました。何も持っていなければ、自分の財産のことで悩む必要も,そのことで争い合う必要もないのだと。それにしても、何か食べなければ死んでしまいます。そこで彼は雑用をしたり、らい病患者の世話をしたりして、食べ物を恵んでもらいました。恐らくフランチェスコの頭には、イエス様の言葉(6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。)が鳴り響いていたことでしょう。そして実際フランチェスコは餓死することもなく、生き続けていくことができたのでした。
そのようにして放浪生活を続けているとき、フランチェスコはアッシジの郊外のサン・ダミアノというところに見捨てられて崩れかけた礼拝堂を見つけます。彼は思わずその礼拝堂に入り、祈りを捧げました。するとなんと、主の声が聞こえてきたではありませんか。「フランチェスコよ、わが家が壊れているのを見たであろう。汝がこの家を建て直すのだ。」この声を聴いたフランチェスコはこれこそ主が自分に与えた使命であると確信し、早速建て直しの仕事にとりかかりました。と言っても彼には一銭のお金もなく建築資材も大工道具もありません。それでどうしたかと言いますと、近隣の家を訪ねて回り、「石を恵んでください」と頼み、少しずつ石を集めたのでした。そしてそのようにして集めた石を一つ一つ自分の手で積み上げていったのでした。こうしたフランチェスコの姿に心を打たれたのでしょうか、一人また一人と手伝ってくれる者が現れました。こうして、彼は数年とたたないうちにこの礼拝堂を建て直すことに成功したのでした。
3.乞食として生きる
しかし、神様がフランチェスコに命じたのはたった一つの礼拝堂を建て直すことではありませんでした。神様はなんと教会全体の建て直しをフランシスコに命じていたのでした。というのも、キリスト教の教会は今やきらびやかな宮殿のようになり、たくさんの土地と財産を所有する大組織となっていたからです。そこには美しい衣装に身を包んだ大貴族や大金持ちが集まり、彼らを迎える聖職者たちも美しい衣装に身を包んでいました。しかしそこには愛も信仰もありませんでした。そのような教会の姿を神様は悲しく思ったに違いありません。そうであればこそ、神様はフランチェスコに「わが家を建て直せ」と命じたのでした。神様のこの言葉は、単に一つの壊れかけた礼拝堂を建て直せということではなく、道を踏み外したキリスト教の教会全体を建て直せという命令だったのです。
フランチェスコがこのような神様の御心に気づいていたかどうかはわかりません。しかし完全にイエスのようになろうとする彼の生きざまはそれだけで多くの人に悔い改めを促し、教会を改革する大きな力となっていきます。
そのようなフランチェスコが神様から決定的な啓示を得たのは、27歳の時、ある教会のミサでマタイによる福音書の10章が朗読されていた時のことでした。その中の9~10節がフランチェスコには神の声として響いたそうです。これこそ先程輪読していただいた個所です。その部分をもう一度読んでみましょう。
10:9 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
10:10 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。
この言葉を聴いたフランチェスコは、こう思いました。神様が私に望んでいるのは、単に乞食に何かを与えることではない、自分自身が乞食になることなのだ。ただで与える前にはただで受けなければならない。ただで受けることこそが何よりもまず重要なのだ。すなわち乞食になることこそが神とともにあることなのだ。金持ちになることは神に背くことであり、神から離れることなのだ。イエス様が金持ちになったであろうか。イエス様は生涯乞食のように生きたではないか。神に恵みを乞い、隣人に助けを求めて生きたではないか。そうであればこそイエス様の周りにはいつも神様がいらっしゃったのだ。
ここは少しわかりにくいところなので解説しましょう。いったいなぜ貧困になり、乞食となると神様がそばにいてくださるのでしょうか。もし乞食になったら、人は誰かに物乞いをするほかありません。ところで私たちは誰かに物乞いをすることができるでしょうか。道端に立って、食べ物やお金を恵んでくださいと歩行者に乞うことができるでしょうか。恥ずかしくてできないでしょう。そうなのです。私たちには、プライドというものがあります。それは人前でかっこよくありたいと思う心です。そのような心があるからこそ、私たちは乞食になって物乞いをすることができないのです。しかし、本当に貧困になって一銭のお金もなくなり、食べるものもなくなってしまうなら、プライドを捨ててでも物乞いをせざるを得なくなるでしょう。そうなのです。乞食になって物乞いをすることは、自分のプライドをかなぐり捨てて助けを乞うことなのです。人前でかっこよくありたいという思いを捨てて、お金や食べ物を下さいと頼むことなのです。そして神様は、そのような人をこそ愛します。自分のプライドを捨て隣人に助けを乞う人をこそ神様はへりくだりの人と呼んで愛するのです。そうであればこそ、貧困になり、乞食になるならば、その人の周りには絶えず神様がいてくださるのです。
しかし乞食のそばに神様がいてくださる理由はそれだけではありません。もう一つ重大な理由があるのです。その理由とは乞食が他者のうちに神の愛を起こすということです。乞食に食べ物やお金を乞われるならば、道行く人の何人かは必ずそれにこたえて、食べ物やお金を恵んでくれでしょう。見ず知らずの乞食にお金や食べ物を恵んでやるというのは神の愛の業ではありませんか。そうなのです。乞食のように貧困の極致にある人は見ず知らずの人の心のうちに神の愛を引き起こします。だからこそ、乞食のそばには絶えず神様がいてくださるのです。
というわけで、無一物になり、乞食になることは、その人自身の心のプライドを打ち砕き、他者の心に神の愛を呼び込みます。だからこそ、乞食のそばには絶えず神様がいてくださるのです。
イエス様の言葉(10:9 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。10:10 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。)を聞いたとき、フランチェスコはただちにこれらのことを理解しました。であればこそ、このすぐ後からこの言葉の通りに乞食になり、物乞いをしながら福音を説いて周ったのでした。
すると驚くべきことが起こりました。一人、二人、三人・・・と次々に仲間が与えられたではありませんか。つまり、フランチェスコのように乞食になろうとする人が次々に現れたのです。このようにして集まった人々にフランチェスコはこう呼びかけました。「恥ずかしさを打ち捨てて、隣人の心に神の愛を引き起こすために自信をもって乞食になりなさい。人に施しを乞うことこそはイエスの道をたどることであり、最も高貴なことなのだ」と。このように呼びかけられた彼らはフランチェスコに言われたとおりに乞食を実行しました。するとなんと、恥ずかしさはみるみる消えて生き、その代わりに心に大きな喜びが湧いてきたではありませんか。これこそ神様が彼らと共にいて下さったことの証拠です。このような体験をした彼らは、しばらくすると大声で讃美歌を歌いながら物乞いに出かけて行き、大声で讃美歌を歌いながら物乞いから帰ってくるようになりました。
しかし仲間が増えたからと言って喜んでもいられません。当時は集団的な宗教的な活動の自由がない時代で、法王の認可を受けないで、集団的活動をすれば、異端とみなされ、処刑されてしまうかもしれないからです。そこでフランチェスコは、乞食仲間が十二人になったとき、彼らを引き連れてローマ法王のもとへ行き、集団的活動の認可を要請したのでした。
このシーンは映画でも取り上げられ、非常に有名になりましたので少し紹介しましょう。きらびやかな宮殿のような法王庁の中を乞食も同然のぼろをまとった十二人の青年がとぼとぼと歩いていきます。そしてきらびやかな服を着た司教たちの前でこう言うのです。「どうぞ私どもの集団の活動をお認めください」と。多くの司教たちは彼らのことを馬鹿にしていましたが、彼らのうちの何人かは彼らのうちにこそ真のキリストの姿があることを認め、恐れおののきました。法王にいたっては一瞬気絶したと映画では描かれていますが、これは嘘でしょう。いずれにせよ法王は、彼らのうちに霊的権威を認めざるを得ず、その活動を認可したのでした。以上が有名なシーンの概要です。法王庁を訪れた十二人の乞食たちこそは、神様が当時の教会に打ち込んだ鉄槌なのでした。
このときからフランチェスコは自分の仲間たちを「小さな兄弟団」と呼ぶようになりました。法王の認可を得て後、この「小さな兄弟団」は急速に発展していき、数年後には数千人の規模となり、二十年後には数万人の規模となります。その中には大金持ちであった大貴族、大商人、そして聖職者までも含まれていました。いったいなぜこれほど多くの人たちが乞食のような生活に身を捧げたのでしょうか。それはもちろん、イエス様に倣って乞食を実践する者の近くに神様がいらしたからです。その結果彼らの内にはいつも喜びと平安が満ち溢れていたからです。フランチェスコとその仲間たちは、貧困のどん底にあるのにもかかわらずいつも喜びと平安に満たされていました。この神様と共にある喜びと平安を求めればこそ、多くの者が次々にフランチェスコの後に続いて乞食となったのです。
4.十字軍への参加
さて、話は続きます。フランチェスコが35歳になったとき、ハンガリー王が第五次十字軍を起こし、エジプトへと進撃を開始しました。この話を聞くとフランチェスコはすぐさま十字軍への参加を表明しました。もちろん騎士として戦うためではありません。イスラム教徒にキリストの福音を伝え、キリスト教に改宗させるためです。
この十字軍の遠征は失敗に終わります。イスラム教徒への総攻撃は失敗し、十字軍は大敗北を喫したのでした。その和平交渉が行われているさなか、フランチェスコは驚くべきことを実行します。一人の弟子を連れて単身でイスラム教徒の陣営に乗り込んでいったのでした。何という無謀さでしょうか。イスラム教の戒律によれば、イスラム教徒に異教の教えを説こうとする者は死刑です。そのようなところにフランチェスコは武器も持たずに乞食同然の姿で飛び込んでいったのですから。当然二人は即刻逮捕されました。そして役人たちは当然彼らを処刑しようとしました。ところが、逮捕されたフランチェスコはそれでも諦めず、「スルタン」「スルタン」と叫び続けました。「スルタン」とはイスラム教国の政治軍事の最高指導者の称号ですが、これが彼らの知っていた唯一のイスラムの言葉だったので、ひたすら「スルタン」と叫び続けたそうです。すると不思議なことが起こりました。二人の処刑は取りやめとなり、「スルタン」との面会が許可されたのです。いったいなぜか。
当時の「スルタン」はメレク・エル・カミルと言い、非常に寛大な人物でありました。彼は、乞食同然のキリスト教徒がたった二人で乗り込んできたと聞くと、それは面白い奴らだと思い、面会を許可したのでした。こうしてフランチェスコはフランス語の通訳をつけられ、イスラム教国のスルタン、メレク・エル・カミルと面会したのでありました。では、二人はどのような会話を交わしたのでしょうか。フランチェスコは、もちろんキリストの福音を説きました。「私たちはみな罪人です。しかしキリストが十字架についてくださったお陰で、その罪を赦され、命をもらえることになりました。キリストを信じさえすれば、私たちは皆命をもらうことができます。ですから、スルタン殿もイスラム教徒の皆さんも、直ちにキリスト教に改宗し、キリストを信じなさい。そうすれば皆永遠の命をいただけるのです」と説いたのです。こんなことを説けば、普通は間違いなく死刑です。ところがこのスルタンは、喜びと平安に満ちたフランチェスコにすっかり魅了され、こう述べたそうです。「それは無理だ。さすがに私たちがキリストを信じるわけにはいかない。しかしそなたらの身の安全は保障しよう。直ちに仲間のもとに帰り、そのキリストとやらにつかえるがよい」と。こうしてスルタンは、この言葉の通り、二人を無事にキリスト教陣営に送り届けたそうです。
というわけで、フランチェスコは結局一人のイスラム教徒も改宗させることができませんでしたが、驚くべきことにイスラム軍の真っただ中から無傷で生還したのでした。十字軍に参加したキリスト教徒たちは、フランチェスコが神様に守られていることを実感し、彼らのうちの少なからぬ人々がフランチェスコの弟子となり、乞食となりました。こうして「小さな兄弟団」はさらに発展していったのでした。
5.聖痕
ところが、フランチェスコがイタリアに帰国してみると、イタリアの「小さな兄弟団」は大変なことになっていました。「小さな兄弟団」は大学出身のエリートに指導され、修道院を所有し、院内に学問研究所を設置していたのです。これを目にしたフランチェスコは激怒してこう叫びました。「全員ただちにこの修道院から退去せよ、そしてこの修道院を放棄せよ」と。フランチェスコの主張はこうでした。「私たちの戒律はただ一つ。イエス・キリストのように貧しく生きることである。イエス・キリストが修道院を所有したであろうか。イエス・キリストが学問研究所で学問を研究したであろうか。そんなことは断じてない。財産を持つことと学問を学ぶことは、人を思い上がらせ、おごり高ぶらせるだけのサタンの仕業なのだ。そのような営みに専心する者は必ずや神の厳しい罰を受けるであろう。」このフランチェスコの言葉に、大学出の指導者たちは震えおののきました。イエスのように貧しく生きることの中には、知において貧しくなること、知の乞食になることも含まれているということを思い知らされたからです。
しかし、大学出の指導者たちは屈服しませんでした。「小さな兄弟団」はすでに5000人規模にまで拡大しており、それを統制するためにはきちんとした戒律や組織、建物、そしてたくさんの指導者が必要であると考えたからです。彼等は「5000人のキリスト教徒を乞食のまま町に放り出すわけにはいかない。彼らを修道院できちんと教育してから街に送りだすべきだ」と主張し、「知とイエスの貧しさを両立することは可能だ」と主張したのでした。至極もっともな意見です。しかしそれはもはやイエスのように生きる道ではありません。フランチェスコは精一杯彼らの主張に反対しました。しかし結局時代の波に逆らうことはできず、1220年、フランチェスコが38歳のとき、「小さな兄弟団」は正式に宗教団体となり、戒律や組織、土地と建物、複数の指導者を持つこととなりました。そしてフランチェスコは指導者の地位(自身では自分のことを指導者とは呼ばずに、模範例と呼んでいた)を退き、少数の弟子たちと共に山にこもって孤独に暮らすこととなりました。ここに、イエスのように貧しく生きるというフランチェスコの理想は音を立てて崩れ始めたのでした。
自分の理想が崩れるのを目の当たりにしたフランチェスコは、非常に苦しみました。しかし、彼を苦しめたものは理想の崩壊だけではありませんでした。同時に病も彼を苦しめ始めました。長年の貧困生活のゆえに、フランチェスコは様々な病を抱えていました。胃が悪く、肝臓や脾臓も病んでいたそうです。それらの病が一斉に牙をむいてフランチェスコに襲い掛かってきました。しかし何よりも彼を苦しめたのは眼病(目の病)でした。彼は時々激しい目の痛みに襲われ、しばしば目が見えなくなりました。いったいなぜ彼は目を病んだのでしょうか。その理由は、毎日のように自分の罪を思い、その罪を悲しんで涙を流したからだと言われています。つまり、自分の罪のゆえにあまりに泣きすぎたために目が悪くなったというのです。いったいどれだけ泣けば目が悪くなるのでしょうか。そしてそれほどに泣かねばならないとは、フランチェスコはいったいどれほどの罪を犯していたのでしょうか。恐らく彼は、イエス様のように生きようとすることを通じて、自分の心の奥底に住むどうしようもない罪と向き合うことになったに違いありません。
今やフランチェスコは、苦しみのどん底にありました。理想の崩壊、孤独、病、視力の低下、罪の苦しみ・・・、まるでありとあらゆる人間の苦しみが同時に襲いかかって来たかのようでした。言い換えれば、彼はこの時に、完全な乞食となったのでした。財産においてだけでなく、知においても、体力においても、徳においても、全てにおいて貧しい、助けを乞うだけの真の乞食となったのです。
ところが、このような貧しさのどん底において真に驚くべきことが起こります。ある日の早朝、六つの翼を持った最高天使(熾天使)が現れ、彼に覆いかぶさったのでした。フランチェスコが喜びと驚きのあまり身を起こすと天使は消え、その後フランチェスコの身体には、五つの傷が残されていました。その傷は驚くべきことにイエス・キリストが十字架の上で受けた傷と同じ傷でした。すなわち両方の手のひらと両足の甲、そしてわき腹に刺し傷がついていたのでした。
いったいなぜこのような傷がフランチェスコの身体に現れたのかはいまだにわかっていません。しかし、少なくとも次のことは言えると思います。すなわちフランチェスコの乞食のような生き方はイエス様の御心に完全にかなうものであった、だからこそ神様はフランチェスコの身体にイエス様と同じ傷を与えたのだと。
この傷は以降、聖痕と呼ばれ、イエス・キリストに真に従った者の証と見なされるようになりました。
6.太陽の賛歌
しかし、聖痕はフランチェスコの身体に対してとどめのような役割を果たしました。それでなくとも病に苦しんでいたのに、さらにその上に五つの傷を与えられたのですから。フランチェスコの身体はまさにボロボロになり、死が近づいていることが誰の目にも明らかとなりました。フランチェスコ自身もそのことを悟り、死の準備を始めました。すなわち、神様からいただいたものはすべて神様に返却することとし、再び素っ裸になって、掘っ建て小屋の土の上に横たわったのでした。このとき弟子たちは、フランチェスコの身体に聖痕があることをはっきり確認しました。
弟子たちはフランチェスコの聖痕に驚きつつも、その痛ましさに涙しました。見かねた弟子の一人が、自分のぼろ服を差し出し、「この服をあなたにお貸しします。あなたのものではありませんから、安心してお召しください」と言いました。この言葉を聞いてようやくフランチェスコは、その服を着て横たわったと言います。
しかしこの死の床においてさらに驚くべきことが起こりました。このときに何とフランチェスコは、後に「太陽の賛歌」と呼ばれることになる喜びにあふれた歌をうたいはじめたのです。以下その歌の一部をご紹介しましょう。
主を讃えよ。兄弟なる太陽のゆえに。この兄弟は昼を作り、この兄弟によってあなたはわれらを照らす。
主を讃えよ。兄弟なる空気のゆえに。この兄弟は風と雲と晴れた空と様々な天候を作り出し、あなたはこれらの兄弟をもって被造物を支える。
主を讃えよ。姉妹なる水のために。この姉妹は全てのものの役に立ち、それでいて謙遜、高貴にして貞潔。
主を讃えよ。兄弟なる火のために。この兄弟によってあなたは夜を照らす。
主を讃えよ。姉妹にして母なる大地のために。この姉妹はわれらを支え、われらを治め、様々な果実と花と草を生み出す。
主を讃えよ。許す人々のゆえに。彼らはあなたへの愛のゆえに苦痛や苦難を耐え忍び、人々を許す。
主を讃えよ。姉妹なる肉体の死のゆえに。この姉妹はあなたのみ旨に従って死んだ人々の上に真の命をもたらす。
だからこそ、主を賛美し、祝福し、感謝し、大いなる謙遜をもって主に仕えようではないか。
この賛歌で歌われているのはただの自然愛ではありません。水や火や空気も死さえも含めた森羅万象への愛です。
いったいなぜこれほどまでに彼はすべてのものを愛することができたのでしょうか。その理由は、彼が完全な乞食となったことと関係しています。もし自分のものが何一つないのだとすれば、自分のものと他人のものとを分ける境界線はなくなります。だとすればすべては神様のものであるということになり、全ては神様の贈り物であるということになるではありませんか。貧しさのどん底に置いてフランチェスコは、森羅万象全ての物が神様からの贈り物であることに気づきました。そうであればこそ、全てのものが美しく輝いて見え、それらへの賛歌を歌わずにいられなくなったのです。
7.まとめ
というわけで、まとめましょう。フランチェスコの生涯を解き明かすキーワードは乞食です。皆から忌み嫌われる乞食こそがフランチェスコの謎を解き明かす鍵なのです。乞食とは財産においてだけでなく、知や健康や善において無一物になることであり、それは自己の全存在を神の愛に委ねることです。それは言い換えれば、絶対的な神信頼の現れであると言えましょう。それと同時に乞食になることは、自身のプライドを捨てることです。それはあらゆる意味における(財産、知、健康、徳における)思い上がりやおごり高ぶりを打ち砕き、本当の意味でへりくだる行為です。つまり乞食になることは、神への絶対的信頼の現れであると同時に真のへりくだりの現れでもあるのです。そうであればこそ、神は乞食と共にいて下さり、乞食の心は喜びと平安で満たされるのです。
そしてこの乞食の原理は、自分のものと他人のものという区別を取り除きます。乞食になる時には、私的所有の概念が崩れ去り、すべてが神様からの贈り物であるという境地(無一物中無尽蔵と言われる境地)が開けてくるのです。そうであればこそ、貧困のどん底とも言える状況で、フランチェスコは「太陽の賛美」を歌うことができたのでした。
このようなフランチェスコの生き方を現代に生きる私たちは徹底的に見直す必要があります。というのも、現代の人々は少しでも金持ちになろう、少しでも頭が良くなろう、少しでも健康でいようと思うあまり、神を完全に見失い、おごり高ぶり、かえって不安と心配に席巻されているからです。すなわち無一物であることから生じる自由と解放と感謝を完全に見失っているからです。その結果、あらゆる争いや自然破壊を繰り広げることになり、それらから抜け出せないでいるからです。真の幸福はイエスのように貧しく生きることにある。これこそフランチェスコが全人類にたたきつけるメッセージです。
最後にイエス様の有名なルカ伝の言葉を引用して終わりましょう。
6:20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」
8.話合い
It「僕の常識からすると、狂っているとしか思われません。ここまでしないと救われないのでしょうか。」
寮長「そういうわけではありません。福音によれば、キリストを信じただけで救われます。フランチェスコが示したのはむしろ、救われていることを実感する道、本当に神と共にあることを実感する道であると思います。」
So「その道は、ただ受けるだけではだめで、やはり与えることも同様に重視する道ですよね。」
寮長「そうです。しかし与えることの重要性は誰でも口にします。フランチェスコの意義は、それと受けることが表裏一体であることを示した点です。」
So「物々交換で人が暮らしていたときには、受けることと与えることが共にちゃんと重視されていたと思います。ところが資本主義になって無限に成長しなければならなくなり、それが崩壊してしまった。そして成長することが至上価値になってしまった。」
寮長「そういう現代に対する究極のアンチテーゼがフランチェスコですね。」
Ya「ぼくもついていけないと思いました。しかし無一物の自由というところは面白いと思いました。本当に僕たちは持ちすぎているがゆえに自由でなくなっています。」
寮長「気づいてくれてうれしいです。」
Ma「理想はわかるけれど、やはり実践が難しいように思われます。」
寮長「イエスのように生きようとするなら、自分の罪が前面に出てきて、それと戦うことになります。それに打ち勝つことは人間には不可能です。そのときにこそ祈りが必要になり、神に頼る必要が出てきます。」
Ok「無一物中無尽蔵は、面白いと思いました。しかし、たとえ無一物になったとしても、僕にはすべてが神様からの贈り物であるとは思えないでしょうね。」
寮長「私有財産の精神が骨までしみついてしまっているのですね。」
Ho「フランチェスコのような人がたくさん出てきたら、世界は乞食だらけになって、あらゆる社会的活動がストップしてしまいます。しかし、フランチェスコのような考え方にも一理はある。結局乞食は少ないからこそ意義があるのではないでしょうか。」
寮長「フランチェスコに込められた神様のメッセージは、全員がフランチェスコのようになれということではないと思います。人にはそれぞれ役割があり、フランチェスコもその役割の一つを果たしたのだと思います。ただその役割は、他のほとんどの人間の役割の対極にあり、神と出会う道を示すものだった。個性的であるだけでなく、人間の生き方のある種の頂点を示すものであった。私はそういう彼の生き方を狂っているとみなすのではなく、むしろ敬うべきだと思います。」
Ryo「教会にもいろいろな教会があります。そしてそれぞれに異なる役割を負わされている。無教会にだってその役割が与えられているのだと思います。」
寮長「よくなぜ教会が一つではないのかと疑問を呈する人がいますが、私に言わせれば、教会がたくさんあることこそ役割の多様性の現れであり、健全な姿です。そして無教会にも確かにその役割があります。しかしその役割は、フランチェスコのそれに似ています。みんながみんな無教会になってはまずい。多くの人が教会を形成するからこそ、そのアンチテーゼを示すことが無教会の役割なのです。乞食と同様、少ないからこそ無教会には意義があるのですね。」
