シュバイツァーの生涯と思想(黒川)

話し合い

Ya君「情熱の大切さを説く人はたくさんいましたが、それと同時に冷静さを持つことが重要だと教えられたのは初めてでした。」

Ue君「奉仕は嫌なことと思われており、私もそう感じてしまうのですが、シュバイツァーはなぜそれを喜びと感じられたのでしょうか。」

黒川先生「それはやはり、神への信仰のためだと思います。」

Ka君「やむを得ない場合以外に生物の命を奪ってはいけないとシュバイツァーは言っていますが、やむを得ない場合とはどういう場合でしょうか。」

黒川先生「彼は自分の血を吸いに来るやぶ蚊さえも殺さなかったそうです。それくらい命を大切に考えていたのですね。」

So君「生き甲斐と社会貢献とが一致しているところが、すごいと思いました。でもそういうふうにはなかなか成れないのではないでしょうか。」

黒川先生「確かに難しいですが、神様により頼めばそういうことも可能になると思います。十字架では、横の棒は隣人愛を現し、縦の棒は神の愛を表し、この二つが一つに結び付いています。こういうことを神様は可能にしてくれるのですね。」

Mi君「シュバイツァーの言う禁欲が目的以外の欲を断つことであるというところに感動しました。欲を全て捨てることが禁欲なのではないのですね。」

Go君「僕もそこに感動しました。僕は仏教の教えで育ってきましたから、欲というものは皆煩悩で、捨て去るべきものだと思っていました。ところが、シュバイツァーから出てくる禁欲はそれとは、全然違う。」

Ko君「先日友人と何が幸福かという話をしていて、結局は与えることが最高の喜びだという結論になりました。シュバイツァーは若い頃からそこに気付いていたようですごいなあと思いました。それから、うちの父はまさしく情熱と禁欲をともに実践している人なのだなあと思い、父のことを尊敬しなおしました。」

黒川先生「身近にそういう人がいるということは本当に幸せなことですね。」

Ok君「シュバイツァーの倫理思想の本質が初めてきちんと理解できました。ありがとうございます。」

It君「内心の幸福なんてそもそも考えたことがありません。だから目的ということも全然定まりません。内心の幸福についてもっと考えてみれば、何かに集中し、目的が見つかるのかもしれない。それから質問なのですが、シュバイツァーは若い頃には禁欲ということが良くできておらず、あれもこれも欲張りすぎて結構危険な状態にあったのではないでしょうか。」

Ma君「ぼくもそこが気になりました。若い頃にやった好きなことと人生後半の奉仕とが良く結びついていないのではないかと。」

黒川先生「そこがそうではないのです。前半の神学や哲学や音楽への没頭が、後半の奉仕の生活を支えることとなりました。これは私自身も体験したところです。」

Sa君「シュバイツァーが30歳を区切りにそれ以降を奉仕のために生きると設定したのはなぜでしょうか。他の年齢だってよいように思われますが。」

黒川先生「これは良い質問ですね。その理由はイエス様に倣ったからです。イエス様は30歳前には大工をしていて、30歳以降すべてを捨てて人々に奉仕する生活に入りました。シュバイツァ-はそのようなイエス様に倣ったのです。寮長さんは何か感想がありますか。」

寮長「最近では心に病を抱える人が多いですが、そういう人たちの多くは欲がばらばらに分散していて、自分を破壊する方に働いてしまっているからだと思っています。しかし、欲を禁欲的に制御していき、一つの方向に向けていければ、むしろ自分を創造し、奉仕や喜びへとつなげていくことができるという今日の話は、今悩んでいるそういう人たちに救いの道を切り開くのではないでしょうか。現代はスマホやゲームのために欲望がどんどん分散させられる時代です。しかしそういう時代に負けずに欲望を禁欲で制御して、良き情熱へと昇華していけば、現代の心の病の多くはなくなっていくように思われます。今日はみんなの道しるべとなるような素晴らしい話をしてくださり、本当にありがとうございました。」