福島旅行に行けなかった人たちのために、9月16~17日に伊豆大島一泊二日の特別研修旅行を行いました。目的は、大島の自然と地形、特に地震につながる火山活動を学ぶことです。原発事故の原因は地震と津波でしたから、大島に学ぶことは、大いに意義があります。
初日
高速ジェットフェリー
先ずは熱海港から高速ジェットフェリーでスタート。「take off時揺れますのでご注意ください」とアナウンスが流れたので、「何がtake off だ、大げさな」とバカにしていたら、本当に船体が浮き上がり、波の上を飛ぶように走行したので、一同びっくりでした。いったいどういう仕掛けになってんだ?
火山博物館「ジオノス」
初めに訪れたのは、「伊豆大島ミュージアム―ジオノス」。7月にできたばかりなので、「るるぶ」にも載っていません。伊豆大島の火山の仕組みやそれが生み出す独特の自然、そしてそれと共に生きる人々の生活を最新の技術で立体的に見せてくれます。三番目の写真は溶岩の灰皿。島民と火山との戦いを象徴するような展示です。うちの寮生たちはこの手の博物館が大好きで、二時間もここにいて島のことを学んでいました。
岡田港日の出浜
午後には、岡田港近くの日の出浜で泳ぎました。実を言えば大島の海は火山灰で砂が黒いので、あまりきれいには見えません。水は極めて透明度が高いのですが。そんな中でこの日の出浜は例外的にきれいに見える最高のビーチです。岩や防波堤に囲まれて安全なのに、50センチのメジナが群れを成して泳いでいて、ときにはウミガメとも出くわします。ウミガメは、海産物を食べてしまうので、漁師にとっては生活の敵なのだそうです。九月なので他に観光客はおらず、まさしくプライベートビーチ状態。寮生たちは時が経つのも忘れて泳ぎ回っていました。
泉津の切り通し
続いては、アニメなどで有名な泉津の切り通しへ。なんとなく不思議な霊気が漂っていて、一同神妙な気持ちになりました。ここではキョン(小さなしかのような動物)も見られましたが、写真に収めることはできませんでした。
都立自然公園「海のふるさと村」
宿泊は東京都が運営する「海のふるさと村」というキャンプ場のロッジでした。海と山に囲まれた壮大な施設、にもかかわらず他の宿泊客はなし。春風学寮で独占利用させていただきました。
近くの海からはウミガメが顔を出しました。何とか写真にとらえましたが、見えるでしょうか。夜は星空を眺めながら野外でバーベキュー。プラネタリウムのように星が見え、もちろん天の川も見えました。まさに地上楽園です。
二日目
三原山と裏砂漠
二日目の最初は三原山の裏にある裏砂漠に行きました。ところが裏砂漠は完全に雲に覆われており、視界はゼロ。長く歩くと遭難しそうなので、すぐに引き返しました。本当なら黒い砂漠が広がる幻想的な景色が見られたはずなのに。この後には三原山へ上る予定でしたが、それも断念です。実際の火山を見るという大目的が失われ、がっかりです。
筆島
三原山登頂を断念して海へ降りてみると、海沿いは良い天気でした。そこで、大島一の景勝地「筆島」に行きました。海に突き出ている尖がった大きな岩が筆島です。ここも黒い砂の海岸ですが、それを打ち消して有り余る壮大さと水のきれいさ。時間があればぜひ泳ぎたいところです。風のせいか、砂がゲレンデのように積もっていて、寮生の一人はそのゲレンデを登ろうと試み、失敗していました。足が空回りしているのが分かるでしょうか。
ジュリア・おたあの碑
筆島の対岸にはなぜか白い十字架が立っています。なぜなら、この地は「ジュリア・おたあ」というキリスト教徒の女性が「キリシタン禁教令」のために流された最初の流刑地だったからです。彼女は秀吉の朝鮮出兵のときに小西行長によって連れてこられた朝鮮人ですが、小西の熱心の教育によってキリスト教徒となり、ジュリアという洗礼名を授かりました。しかしその後小西家が没落したため、家康のもとで働くことになります。家康はキリスト教に否定的でしたから、彼女に棄教を迫りました。ところが彼女は信仰を捨てなかったために、大島、新島、神津島と次々に流刑される運命となりました。
しかし彼女は、行く先々でキリスト教徒として、島民のために献身的に働いたため、島民から慕われ、「おたあ」さま、あるいは「オネサマ」と呼ばれていました。というわけで、この地は元々「おたいの浦」と呼ばれており、筆島も元々は「オネサマ」と呼ばれていました。信仰の力はすごいですね。
裏にある砂の壁には、春風の文字を刻んできました。春風学寮もキリストに学ぶ寮ですから。
続いて、都はるみの「あんこ椿は恋の花」で有名な波浮港を見渡せる絶景スポットへ行きました。大島は見所がいっぱい。寮生たちの笑顔に満足度が現れています。ちなみに「あんこ」とは大島の島民が着ていた絣模様の作業着です。餡子ではありません。
トウシキ海岸
続いてはトウシキ海岸。ここは溶岩が固まったばっかりといった感じの場所で、溶岩の岩が幾重にも輪になって、その内側が天然のプールになっているという驚くべき場所です。そこにはもちろん美しい魚がたくさん泳いでいました。時間がなくて泳げなかったのが残念でなりません。このように火山活動は、様々な恩恵ももたらしてくれます。
千波「地層団切断面」
最後には有名な千波の地層団説断面を見に来ました。なぜこのように地層が波打つかと言いますと、小さな山や谷の上に繰り返し火山灰やスコリア(気泡を含む溶岩からできた石)が堆積したからだそうです。プレートの圧縮のせいではありません。
濃霧のため写真は写せませんでしたが、この後には三原山の温泉に入って帰途につきました。
総じて
大島に来て学んだことは、日本は火山の極めて多い国であり、火山と共に生きていくことが宿命であるということです。その恩恵は温泉や鉱物資源、美しい景色、豊かな自然、天然の遊び場とたくさんありますが、他方で地震や津波、火山灰などのリスクを伴います。このような国に原発をたくさん作るのは、やはり間違っていると思わざるを得ません。私たちがどんなに努力しても、火山を向こうにまわして原発の安全を確保し続けることは不可能でしょうから。日本のすすむべき道は火山と共存する科学技術の発展だと思わされました。